スタッフコラム

見て見ぬふりが命を奪う──いじめと教育機関の責任

昨今、子どものいじめに関する痛ましいニュースが後を絶たない。特に目立つのは、学校だけでなく、学習塾や習い事といった教育機関におけるいじめの発生と、それに対する大人たちの対応の悪さだ。子どもが通う場である以上、学校と同様にこうした場にも厳しい目を向け、必要に応じて外部からの監視や介入を強化する必要があるのではないか。

「見て見ぬふり」の塾──被害者を守れなかった例

以前私が講義をしていた進学塾で発生したいじめ事件。小学生の男子生徒が、同じクラスの子から繰り返し「できそこない」「アホ」「死ね」「貧乏」などといった暴言を浴びせられ、授業中に文房具を壊されたり、ノートをゴミ箱に捨てられるなどの被害を受けていた。担当の先生に相談したものの、「受験のストレスもあるし、あまり神経質になるな」と取り合ってもらえなかったという。

やがてその生徒は不登校状態になった。親御さんと相談して塾本部にも報告したが、結局塾側は正式な謝罪や説明もなく「自主退会扱い」として処理した。当然、再発防止に努めようと加害側の内部調査すら一切行っていなかった。結局、問題が公になるまで対応しないのがこういった組織だと痛感させられた。

教育機関は「学びの場」である以前に「安全の場」であるべき

子どもにとって、学校や塾は単なる勉強の場ではない。人間関係を学び、社会性を育てる場でもある。しかし、その場が安全で安心できない空間になったとき、子どもたちの心は深く傷つく。最悪の場合、自傷行為や自殺という取り返しのつかない結果にもつながる。

文部科学省の2024年の調査によると、小中高校で認知された「いじめ」の件数は過去最多の約73万件に上り、うち1,300件以上が「重大事態」として報告されている。その中でも最も多いのが小学生だ。だが、こうした統計には塾や習い事教室などの民間教育機関は含まれていない。つまり、そこでは何が起きているか、社会はほとんど把握していないのだ。

多くの教育機関では、いじめに関するルールやマニュアルが整備されておらず、職員や講師の意識にも大きなバラつきがある。「指導の一環」として威圧的な言動が黙認されることも少なくない。また、塾に通う子どもたちは「やめたら受験に不利になる」「親に迷惑がかかる」といった不安を抱え、声を上げづらい。

外部の監視と保護者の目線の必要性

報道等を見ていると事例に共通しているのは、教育機関が「組織としていじめに向き合わなかった」という点である。いじめは、当事者の問題に見えて、実は「大人の責任」だ。塾や教育機関の運営者は、「教育」という看板を掲げている以上、学力の向上だけでなく、安全と人権を守る義務がある。

そのためには、保護者の積極的な関与と、地域社会による外部からのチェックが不可欠である。第三者委員会の導入、また定期的なアンケート調査や子どもの声を聞く仕組みをつくることも有効だろう。さらに、塾や民間教室にも、学校と同様に「重大事態」の報告義務を課すような制度改革も検討すべきではないだろうか。

子どもの声を聞ける社会に

いじめは、加害者と被害者だけの問題ではない。その場にいる「見ていた人」、そして「見過ごした大人」の問題でもある。そして何より、いじめは大人が本気で対応すれば、防げるものでもある。

教育機関、特に塾や私塾など、民間で運営されている場所であっても、「学びの場」である以上、そこに通う子どもたちを守る責任がある。子どもは、大人の都合でつくられた空間に生きている。その空間が安全であるかどうかを、常に疑い、見直す姿勢が求められている。

私たち大人ができることは、子どもの小さな声に耳を傾け、それを「たいしたことない」と片付けないこと。そして、どんな教育機関であっても、子どもの心と命を守るために目を光らせ続けることだ。

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