スタッフコラム
何を持って無駄と考えるのか❓

関西に身を置く僕と東京の方との肌感覚は全く違う。
もちろん地方もしかりで、簡単に交通移動できなくなったここ最近、日本が昔の大きな国になって戻ってしまったように感じる。
歴史だけでなく、文化をも変えようとしているこのコロナ。
「これは使える!」と在宅業務やzoom会議はこれからの社会では一考だということについて、あらゆる方面のビジネスマンから賛否両論の声。
さて、子供たちはどうか。
とうとう、今年の学習指導範囲の消化に果たして間に合うのかという議論も活発になってきた。
気付けば6月。
どさくさ紛れで9月入学問題を、ただの議論から本格的な動きだけはやめてほしい。
なぜなら、この国は使えないマスク1つも国民にサッと配れないからだ。
なぜなら、この国は死にかけている国民に10万円すらも手際よく送れないからだ。
請求から48時間以内に数十万円をすぐさま送金できるドイツとは、サッカーのレベル以上に行政レベルがかけ離れてしまっている。
つまり、できないからだ。
今のシステムとマンパワーでは、とても短期間での変遷は不可能。
現状をとにかくどう打破するかだけはなんとかするべきと思う。
世界基準も結構だけど、今ではないだろう。
それこそそうコロコロと変えるものでないだけに、時間を使いながらも期限を決め、万全を喫してほしいものだと思う。
宣言解除となりコロナ自粛が徐々に開け、首都圏でも学習塾の通学も可能になてきた。
大人顔負けのzoomがいい!と訴える受験生も出てきた。
しかし、そのITの真の有用性を感じ取り、そう願う受験生は実は少ない。
何がいいかと聞くと、共通して「楽だから」。
確かに。
否定できない。
僕もコンサル中は、パジャマまではいかないが楽チンな格好な時もある。
上下ランニングウエアとか(笑)
気を引き締めるために、ほぼ講義スタイルではあるが。
「嫌な子と会わなくて済むから」などの、ここでも大人顔負けの切実な意見もあった。
割れた意見の中で一番多かったのが「移動などの無駄な時間がなくなるから」。
通塾形式と通信形式というスタイルの存在は、今に始まったことではない。
こんなものは僕が受験生の頃からもあった。
仮に通信形式が圧倒的に優れているのであれば、現在日本中に点在する多数の塾はとっくの昔に淘汰されているはずだ。
つまり、通塾には通塾の、通信には通信の良し悪しはバランスよく存在するということ。
では、無駄な時間とみてしまう理由は?
1つは、電車や車での移動中の時間を勉強時間に使っていないということ。
そして、2つ目は授業を受ける教室という空間での利点を存分に生かせていないということ。
僕の指導してきた生徒の中で、遠方から電車通塾していた生徒ほど比較的優秀な生徒が多い。
通塾時間が長いため帰宅も遅くなり、当然宿題や復習にかけられる時間がライバルより取れない。
その分、圧倒的不利なはず。
しかし、そのような生徒は移動や乗り換えの細切れの時間を上手に使うので、集中力が養われていく。
ちゃんとお膳立てしなくても、どこでも学習できる。
教室でのライブ授業の最大のメリットは、同じ目的を持ったライバルたちと一緒に〝走れる〟ということ。
一人で走るより、集団で動く方が断然『楽』。
『楽』とはこんな時に言うんだと実感できるはず。
ライバルたちとの数字では測れない位置関係や理解力との差が間違いなく肌でわかる。
それよりも無駄と感じるのは、まだこの利点を感じ取れていないという証。
それも鑑みてzoomがいい!と訴える受験生は、もう受験のプロ。
多分、問題ないだろう。
最近、いろんな地で星が綺麗に見えるというらしい。
僕も新聞記事でも読んだ。
産業が止まって、空気が綺麗になっているからだそうだ。
「コロナの〝おかげ〟?」と生徒に聞かれた。
「う〜ん、、、。」
〝おかげ〟というのは決して適切な日本語ではないが、でも皮肉なもんだ!